両親と継父の記憶

思い出話です。

両親は、とっても変わっている人だったのです。



父は俳句とアマチュア無線と渓流釣りを嗜んでいる人だった。

母は短歌と手芸と山登りが好きな人でした。


家は山の中にあり、祖父が買ってくれたものだそうで、

山羊や矮鶏や犬と共に暮らしていました。

家具も古道具や古布の通販をしていたくらいなので

ごちゃごちゃはしていましたが、結構こだわりのある感じでした。

なので、テレビを囲んでの団欒という食卓とはかけ離れていました。

本当に変わった夫婦で、車も一般的なセダンじゃなくて

幌付きの4WDでした。幌付きなので、窓とかビニールでした。

バブルの頃だったにもかかわらず、

いわゆるそういったカルチャーとは程遠い暮らしをしておりました。


そのため、6歳くらいの時に、

離婚して継父の生活に合わせて同じく埼玉県内の深谷市に引っ越してきた時に

いきなり"普通"の生活をすることに新鮮さと息苦しさとを感じました。

ただ、普通といっても非常に貧しく苦しい生活でした。

母は、手芸をちょこちょこと続けていましたが、どうも閉鎖的かつ一見友好的な、

薄っぺらな暮らしが窮屈だったようでのちに弟ができて育児ノイローゼになりました。

ちなみに、再婚相手の継父は母とは共通点はほとんどなく、

ただただ優しいということが唯一のつながりであったように感じますので

せめて共通の言語があったら違ったのかな?とか思いますが今となっては謎です。


しかし、僕はこの父親に大変影響を受けております、

というのも、もともと埼玉県の山の中で育った映像というメディアすら認知していない僕に

映画というものを教えてくれたのはこの継父に他ならないのです。


この父は、今で言うところの"映画秘宝系"とでも言ったらいいのでしょうか?

そういう男子らしい趣味でした。

スタローンやジャッキーのアクション映画とか

SF系の映画をいろいろと教えてくれて、

スピルバーグの映画もいろいろ教えてもらいました。

しかし、うちの母親ときたら好きな映画はヨーロッパ映画で、

「シェルブールの雨傘」、「詩人の血」、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドック」、、、

全然父とは趣味が違っていたし、父の趣味の映画は低俗扱いしていたので、

なかなか見せてもらえなかったのでした。

また、埼玉のレンタルショップでは見つからない作品も多かったので、

「猿の惑星」も「ソイレントグリーン」も父の話しで知りました。



10年ほどあっていませんが、

結構僕の親はいい趣味をしていたな〜と思います。

幼少時に、いろんな作家さんの家に出入りしたり、

また家に遊びに来て遊び相手をしてくれたこと、

記憶はあまりはっきりしてませんが、とても今の自分に強く影響していますし、

継父に教えてもらった数々の映画はいまだに僕にとっては特別な映画です。


って、なんだか、うまくまとまらない文になってしまった。。。


Write a comment

Comments: 0