ALMOST FAMOUS

「あの頃ペニー・レインと」を見たのですが…。

サントラ↓

ちょっと否定的な記事になりますので、この映画が好きな人は読まないほうがいいです。

 

ちょっと驚いてしまったのだけど、

この映画の主人公って監督の少年時代がモデルらしいのですよ。

だから勿論…というか常識的に考えて、スタートしてんの主人公は少なくともダメな人間として描いているのかと思ったら

全然そんなこと無くて、いきなり頭が良くて優秀でそれでいてロックが好きっていう美少年なんですよ。

なにそれ!?ラノベかよ!!!

なので、まずその時点で結構その時点でがっくりしてしまって

思ったほど、全然楽しめませんでした。

 

同じく物書き(雑誌の記者)を主人公にし、

書いた本人と主人公が一致しているという点では川本三郎さん原作の「マイ・バック・ページ」を映画化する際に、山下監督やプロデューサーがきっと気をつけていたであろう問題を殆ど解決できていない気がする。。。

具体的に言うと…

 

・記者としての未熟さが及ぼす無関係者への被害

・書いている記事に対する責任の問題

・取材対象と記者の関係だけでなく、それを俯瞰している読者がいる。

 

これはフィリップ・シーモア・ホフマンが演じていたライターとしての先生が、ローリングストーンの仕事で痛い目をみるだろう…

っていう予測をたてるんですけど、結局は大成功を収め表紙を飾っちゃうっていうラスト。

多分、その話がまさにウソみたいな映画的な凄い話だから映画化したんだぜって言えばそれまでだけど、そのせいで主人公がラストでようやく初心に戻ってちゃんと成長するのか?って思ったら、なんと相手の方から反省して来てくれて、お陰であっさり名声を手に入れちゃって、大成功!

…びっくり。なんという受動的なやつなんだ。。。

ハッキリ言って、アーティストの事を悪く書いたり、裏事情を書くのは仲がいい人なら、付き合いがなくなれば、いくらだってかけるわけだし、

別にそれをアーティストが否定するのもわかる。

だからこそ、録音とか写真とかの証拠が必要だし、出版社サイドの編集のチェックも必要なわけだけど、

それを無視して、ただ「ペニー・レインの事を自殺に追い込んだ奴らは許せん!おれはアイツの悪いところも知ってるんだ!世間にぶち撒けよう!」

…ってダメでしょ人間として。

だからこそ、その部分を棚に上げて、ラッセルの反省話にして、

最後にラッセルが反省して勝手に来てくれてインタビューに応じてくれて…それで"主人公も記者として成長したのだった…"みたいなオチにするのはやめようよ。ほんとショックでした。

 

それに、読者的な客観的な視点が無いのも驚いた。

唯一の客観的な台詞として「ロックスターはクールだけど俺たちは違うだろ」ってフィリップ・シーモア・ホフマンが言うけど、その後に「俺たちには頭で勝負だ!」ってまくしたててるからなー。

違うだろ!どんなに頭が良くて、高学歴な人でも、それだけじゃ愚かな判断や思考を働かせる時があるから、注意が必要なんだよ…っていう一番大事な部分が抜けている。

何度も引き合いに出して申し訳ないけど「マイ・バック・ページ」はそこが根本的に違うっていうか、東大卒の良いとこ育ちの主人公が記者としての野望に燃えたせいで過ちを犯して…でも、その過ちを自分より知識も立場も低いと思ってた人間にサラリと否定され、アイデンティティがゆらぐっていう凄い話だったのに、この映画はそこら辺がほんとに残念。。。。

青春映画としてみればいい映画かもしれないけど

記者としての成長譚としてはひどい話だったなーと思いました。